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最高裁判所第三小法廷 昭和31年(あ)2449号 決定

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人獅山知孝の上告趣意第一点、第二点について。

祈祷師が自己の行う祈祷が実は全然治病の効能なく、また、良縁、災難の有無、紛失物の行衛を知る効もないことを信じているにかかわらず、如何にもその効があるように申し欺いて祈祷の依頼を受け依頼者から祈祷料等の名義で金員の交付を受けたときは詐欺罪を構成するものというべきであるから、第一審判決が判示第一の各事実に刑法二四六条一項を適用したのは違法でないとした原判決は正当である。また、第一審判決判示第二の事実は恐喝罪を構成すると解すべきものであるからこれに刑法二四九条一項を適用した第一審判決を肯認した原判決に違法はない。論旨中憲法二〇条一項違反の主張は原審においてなされずその判断を経ていないから上告適法の理由とならない。引用の判例(大審院大正三年(れ)第二〇三七号同年一〇月一四日第三刑事部判決)は祈祷が効果あるものの如く詐り相手方を欺罔し不正の利益を得る所為が詐欺罪を構成する場合のあることを説示しているのであるから原判決は右判例に違反するところはない。その余の論旨は事実誤認及び訴訟法違反の主張に過ぎない。論旨はすべて採用できない。

また記録を調べても同四一一条を適用すべきものとは認められない。

よって同四一四条、三八六条一項三号により裁判官垂水克己の後記補足意見あるほか裁判官全員一致の意見で主文のとおり決定する。

裁判官垂水克己の補足意見は次のとおりである。

世の中には、或特定の祈祷、うらないの類、または守札の類を受けると不幸を免かれ若くは普通の方法では判らない人や物の所在、運命等が判り或は幸福に恵まれることがあり得ると考える人々、すなわち、その効能の可能性を多少でも信ずる人々もあり、反対にかような可能性を信じない人もあり得る。そして、人は自からかような可能性を信じないのに、或は可能性の有無を意に介しないで、しかも右祈祷等を請う場合もあり得る(例へば、効能を信じる家人、関係者ないし世人の恐怖をのぞき安心をさせるため安産守札、地鎮祈願を受けるごときである)。かような場合には、その祈祷等は依頼者にそれだけの利益を与えるのであるからそれが達識者から見て意味ないことであっても公序良俗に反しないかぎり祈祷者等が依頼者より謝礼を受けることを約することはもとより自由である。かように依頼者が効能を期待せず且つ祈祷者において依頼者のかような意中を察して有料の祈祷等をする場合には、たとえ祈祷者が予め依頼者に対しそれが効能あるもののように申し述べても、彼は依頼者が効能がなくても祈祷料をだすことを知っているかぎり、それだけでは彼は依頼者を欺く意思を有するものということはできない。また、祈祷者等が自から効能の可能性が多少でもあることを信ずる場合には依頼者に対し効能があると--余りに誇大でなく--申し述べても彼を欺く意思があるものということはできない(効能を余りに誇大に、しかも相手方を欺くことのできる程度に、吹聴するときはその点で欺く意思があるといえるであろう)。

本件は、本文に説示せられたとおりの事実関係であって、祈祷者自ら効能のないことを信じ且つ依頼者が祈祷者の如何にも効能あるものの如き言辞によって効能ありと信じその故に有料の祈祷を依頼した場合というのであるから、右に述べるような祈祷者が欺く意思を有しない場合、または、依頼者が効能の有無を意に介しない場合には当らず、また信教の自由に関係はない訳である。

(裁判長裁判官 垂水克己 裁判官 島 保 裁判官 小林俊三)

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